ギフトシェア ~“「ギフト」で成り立つ世界”をコンセプトにした暮らし~

ギフトシェア ~“「ギフト」で成り立つ世界”をコンセプトにした暮らし~

ギフトシェア ~“「ギフト」で成り立つ世界”をコンセプトにした暮らし~

私の実家は奈良にあり、母が病気になったこともあって、最近頻繁に帰省しています。

今日は、奈良からさらに足を伸ばして、仲間が暮らしている淡路島にやってきました。

そこには、以前にもご紹介したmusubi(ムスビ)というゲストハウスがあります。

musubi(ムスビ)は、“ギフトで成り立つ世界”をコンセプトとした暮らしを、実践・研究・提案している場所です。

具体的には、“ギフトシェア”という考え方をとりいれています。

musubiには宿泊できる場所があり、農業体験や様々なイベントに参加できたりするのですが、宿泊料金や参加費用に定額はありません。

それはすでに、前にmusubiに来ていた人が、次の人に何らかの形で残していっており、その人達のギフトを頂くことができるのです。

それは、ドネーションというお金の形かもしれないですし、その人の得意とするサービスの提供だったかもしれないし、食べ物を置いていったのかもしれない。

昔、『ペイ・フォアード』という映画が有名になりましたが、その考え方に似ていますよね。

実は内容はもう一度観てみないとよく覚えていないのですが、善い行いを次に繋げる、その素晴らしさを発見しちゃった子のお話だったような。

お金のみを媒体にするよりも、お金じゃないやりとりをした方が、人の温かみや優しさをじんわり味わえることって色々ありますよね。

お金自体は、無数のモノに交換できる媒体として素晴らしい制度ですが、それが一人歩きしてしまうと、人間味を失ってしまうような時もありますよね。

ギフトシェアでは、人同士が思いやりや温かさで繋がっていることを、体験できる素敵な機会だと思います。

ギフトの意味

英語で”gift”という場合、「贈り物やプレゼント」という意味のほか、「神から授けられたもの。才能。」という意味があります。

これも映画で「ギフテッド」というのがありますが、特定の分野に突出した才能を持って生まれた子の話です。

これは、映画なので極端な才能を持った子の話だったと思いますが、才能とは何もそんなに突出しているものでなくても、自分が楽しく自然にやりたくなってやってしまうようなものは才能だと思います。

人にはそれぞれの持ち味、才能がある。

それをどうか活かして、あなたらしく生きて欲しい。

musubiでのギフトシェアには、そのような願いも込められています。

無理にしなければならないと思っている何かを頑張るのではなく、自分の持っている才能を自分の内側から溢れてくるままに出して、それを人に与える。

そうするとそこには、無理や辛さの伴わない、自然な喜びと嬉しさが循環する

地球上にいる人々は、それぞれが違うギフト(才能)を有しています

ですので、本来は、皆が得意分野を活かしているだけで、それぞれのギフトが巡り合い、無理を伴わずに共生できるようになっているのです。

これまでの日本の教育は、みんな平均点、目指すような、どの科目も悪いのがあったら平均程度にはできるように頑張らないといけなかった。

これは便利な教育方法ではあったかもしれないけれど、往々にして、その人個人個人の才能が無視されてしまっていた気がします。

本当は得意や不得意でバラバラ・ギザギザな形だったのを、みーんな同じ形の丸いクッキー型に押し込んで、はい合格!みたいな感じがします。

しかも、ちょっと目立ったり、突飛と思われる行動をする子がいると、今でいう発達障害児されかねない、出る杭は打たれる教育。

目立って叱られるの嫌ですもんね…

そうして、本来は持っていた得意なギフトを、私たちはもう使わなくたってしまった、使えなくなってしまった…そんなことも多いと思います。

私もそうです。

本当は、アーティストの素質があったと思います。

でも、理解力があったのか勉強させたら出来たもんだから、小学校から進学塾に通わされて、アートとは程遠い環境で大きくなったら、大人になってその分野に興味を持っても、どこかでやりたいと思っても、もう全然それが出せなくなって…

でももう親の言うこと聞かないと生きていけない子供じゃないし、自分のしたいことをしないのは自分の責任で、全ては言い訳に過ぎないとも思っていますから、

少しずつ、自分が本当にしたいことを出していって、思うように生きて生きたいと思っています。

これを見て下さった方の中にも、本当は興味があって、それをしている人をみると羨ましくなったり憧れたりしていて、でも自分は出来ないと思っている何かがある人は、そこにはあなたのgiftがあるかもしれません

そんな意識で、あなたのgiftにどうか気づいていって欲しいなと思います。

一つかもしれないし沢山あるかもしれない
そして、それを喜び一杯に、誰かにシェア出来る日が来たら、それはなんて嬉しいことじゃないでしょうか。

それこそが、生まれてきた喜びそのものな気がしています。

学びは喜び

子供に勉強させたい親御さんなどに、「京大なんてすごいわね。どうしたらそんなに勉強できるようになるの?」

などと聞かれることがありました。

そこには、親から離れて一人暮らししたかった、とかの理由だったりするんですけれど(笑)、

その他の理由を考えてみると、私は、苦手な科目は苦手な科目で、そんなに頑張らなくてもいいんじゃないかと思ってサボっていたことに気づきました。

進学校で皆なんでも頑張る中、私は自分が興味を持たない、面白く思えない教科の時間は、ほとんど違うことしていました…

もちろんそんなことを勧めるわけではありませんけれど、伝えたいのは、人には得意と不得意があるということです。

もちろん、必要があれば、苦手なことでも頑張ってできるようになることは、素晴らしいことです。

でも、もしその科目がその人にとって、特に必要でもなく、使うことも無いようなものならば、それを青春時代の貴重な時間を使って、苦しんで勉強して点数上げる必要なんてあるんでしょうか。

大抵の場合、そのように点数とるために無理して頑張って詰め込んだ勉強は、後に何にも残りません

短期記憶を用いてなんとか試験は乗り切っても、興味もなく、原理原則もわからず、何のために学ぶかわかっていないものを、いくら頑張って勉強しても、その時限りの無駄な勉強になるのですよね。

勉強した時間が無駄になるだけなら、まだいいです。

もっと弊害なのは、苦手なのに、自分に必要でなく、興味もない勉強を無理に勉強して、それが辛い体験になってしまった時、もう勉強そのものが嫌いなもの、嫌なものとなってしまうことです。

これは、相当の損失です。

本来、人間にとって、学ぶこと、というのはとても嬉しいこと、楽しいことのはずです。

知らないことを知る喜び
出来なかったことが出来るようになる喜び
新しいことを発見する喜び
学びを活かして解決する喜び

人間が他の動植物と明らかに違う点は、このような学びの喜びをもっていること、知的生命体であるということではないでしょうか。

学ぶこととは楽しいこと、喜びだ!という気持ちをどれだけ持っているかが、人の人生を左右すると思います。

学ぶことが好きな人は、幾つになっても、好奇心を持って新たなことを学び続け、常に進化していきます。

時代が変わることにも、楽しんで対応していきます。

でも学ぶことが嫌いな人は、時代や環境の変化に文句を言います。

仕事に関しても、自分の力を発揮する場所というよりは、働かされるという環境の被害者になってしまいます。

そんな生き方ではもったいないですよね。

せっかく命を持って人として生まれてきたのですから、自分の興味を持ったものを積極的に学び、喜び、そしてそれを人にシェアして、喜ばれて、そうして生きて生きたいですよね。

それは別に、生業にしてそれだけで生きていけたら、とかいう話でもありません。

確かにそれならなおいいでしょうが、
趣味として、時折そうして喜びを味わって楽しんで暮らすでもいいではありませんか。

少しでも、自分のgiftに気づき、それを活かして、喜びを味わい拡げる人達が増えますように。

今日もお読みくださり、ありがとうございます。