こんにちは。
日々、人の意識の持ち方と人生の変わり方を研究観察しています。
そしてやはり、この『起因と受け身』という視点は、人生を大きく変えるポイントであることをひしひしと感じています。
日々起こる一つ一つの出来事の捉え方が全然変わってきます。
自分の人生をコントロールしながらやり甲斐を持って生きる人になるか、色んな出来事や人に圧倒されて自分は不幸に思えてくるか、の違いがでてきます。
なので、今一度この『起因と受け身』について語ってみたいと思います。
この視点を持っていると、退職に悩んでいる方も、退職自体の捉え方や退職原因の捉え方、そこから続く人生を大きく変えていくチャンスになると確信しています。
ぜひ、『起因と受け身』ってどういうこと?と興味をもって、今回の記事を読んで頂き、現在のご自分に当てはめてみてください。
『起因に立つ』ということがわかってくると、確実に人生の舵を取り戻し、周りに振り回されない人生を歩んでいくことができますよ!
『起因と受け身』って何?
『受け身』は、読んで字のごとく、外部から影響を受けている在り方のことです。
『起因』とは、その反対で、自分が主体的に事態を動かす在り方です。
例えば、“誰かが自分に話しかけてきて、それに答えていたら、次の予定に遅刻してしまった!”という例を考えてみましょう。
「あの人が話しかけてきたお陰で、私は予定に遅れてしまった!」と捉える方は、『受け身』に立ってしまう人です。
私も、これを結構やっていました…(⌒-⌒; )
話しかけてきた人のせいにするまではしなくても(ひどい時は、それもしてしまう…)、「急いでる時に話しかけられてしまったお陰で」という事態のせいにしてしまうんですよね、つい…
心当たりがある人は、結構多いのではないでしょうか?
でも、『起因』に立って生きることが身についている人は、そんな風には捉えません。
次の用事がある時に、誰かが話しかけてきたら、
「すいません、次の用事があるので、私はこれで失礼します!」と、さらりと告げて、自分の予定通りに動いていけるのです。
確かに…っていう感じしませんか?
自分の予定は自分で把握しているのだし、相手はそんなこと知らないから、たまたま親しみを持って話しかけてくれただけです。
相手に悪気なんてきっと全くありません。
時間がなかったらそう言って帰るだろうし、あなたが急いでいる事情なんて、こちらが言わないと知る由もありません。
起因に立つ人は、事態をコントロールできるということです。
“時間ないのに話しかけられる”という事態だって、上手く対処すれば自分でコントロールできるのです。
受け身に立ちがちな人は、ここでなぜか断ることができず、ズルズルと話に付き合って、自分の予定に影響を受けてしまい、残念なことになってしまいます。
そして後で、自分が予定に遅れたことを、その人や事態のせいにしたりします。
この例はちょっとした出来事です。ちょっと断るタイミングを逃して、ついつい相手の話をウンウンと聞いてしまい、後でしまった!と思う位で済むしょう。
でも、例えば、自分は有給をとって家族とお出かけしたいと考えているのに、会社があまりに忙しそうで、有給申請を切り出せず、家族とのお出かけを断念してしまった場合はどうでしょうか?
だんだん、自分の人生に対する影響が大きくなっているのがわかりますよね。
毎日色んな出来事が起こっているので、一つ一つは大したことなくても、塵も積もれば…で、気づけば出来事に影響を受け過ぎて、自分のやりたかったことができないでいたりして、多大なストレスを抱えている人は、実はすごく多いのです。
そして、最初は、まあいいか、位で済ませておけたことも、気づけば、「あの人のせいで!」「あんなことがあったから…」と、どんどん『受け身』癖が進んでいくことになってしまうのです!
『受け身』の人生は辛い
これが進んでしまうと、気づけば人生問題だらけ、嫌なことだらけ、なんで自分にはこんな不幸なことが起こるんだ…となってしまいます。
いわゆる『悲劇のヒロイン』癖です。
あんな人に出会ってしまったから、私はかわいそう。
こんなことが起こったから、私は大変。
あんな目に遭った私は不運。
これは実は、実際に起こった出来事が不運なのではなくて、その人の事態の捉え方が『受け身』になり過ぎているだけなのです!
大変なことは、わりと誰にでも起こっていたりしますが、それを不幸に捉えるか、そんなこともあるから何とかしようと前向きに解決していけるかが、起因か受け身かの捉え方で変わります。
私も、完全に『悲劇のヒロイン癖』を持っていました。明らかに「何かのせい」にするわけではなかったかもしれないけれど… いや嘘です、してました。なんだかんだと人のせいにしてましたねぇ〜
そしていつの間にか、「なんで私の人生はこうなるんだろう…」と思ってました。
その時は、人生すごく辛かったです。
『受け身』の考え方でいる時は、悲劇のヒロインであるために、大変だ…もう辛い…にエネルギーが注がれて、すごい疲れやすくもなるんですよね。
だんだん泥沼化して、もういい加減に悲劇のヒロインやめたいのに、どうしてやめたらいいのかわかんなくなってました。
『起因に立つ』だけ!
今は、だいぶ悲劇のヒロイン癖がなくなってきました。
しんど過ぎて、身が持たなかったです(笑)
きっかけは、この『起因と受け身』という捉え方を知って、何事にも『起因に立つぞ!』と決めたことでした。
あんなに大変で辛かったのに、そう決めたとたん、どんどん元気になっていきました。
何か特別なことをしたわけではないんですよ。起因立つと決めて、決めたから確かに行動が少しずつ変わっていきましたけど、一つ一つはそんな大変なことでもない変化でした。
最初に出した例で言えば、今まではついつい時間を気にしながらも、話を聞いてしまって、不都合を被ってしまった感じになっていたところを、「あ、私今用事があるので失礼します。」としっかり断るようにしていったこととかです。
自分が起因に立つ!と決めてると、すでに見え方が変わるので、事態が思っていたより自分でコントロールできるということが見えてきます。
『受け身癖』がついていると、何かと相手や事態に問題があると「見えて」しまうから、
あの人は話が長いから…
あの時にあんなことが起こるから…
だって、言いにくいやん…
いくらでも、誰かや何かのせいに出来てしまうんですよね〜
原理がわかって、自分がやってることがわかってしまうと、もう笑ってしまうほど見事に、知らず知らずにそんなことをたーーーくさんやってたりします(^.^)
でも、この『起因と受け身』の原理を知らないと、「あの人は話が長いから…」という相手の問題である考え方が、まことしやかにそうだ、となって、他の考え方、例えば、「自分が話を切り出して、帰ればいいだけだった」という考え方が、浮かばなくなってしまったりまでするんですよね。
そうなると、見え方・捉え方が狭くなって、悲劇のヒロイン癖・不幸癖ワールドにようこそ♪とです。
しかし、そもそもちょっと『受け身』に考えてしまっただけ、が始まりなので、変えるのも簡単です。
だんだん『起因に立つ癖』にしていくだけ。
それがわかるだけで、今度はいくらでも「どうしたら起因に立てるか」のアイデアや考え方も沢山見えてくるようになるんですよ〜
自分には予定があるとちゃんと言おう!
自分の時間の使い方を考えておこう!
こういうことをやっておこう。
ああいう言い方はしないで、こう言おう。
一つ一つは大したことではないけど、事態を変えていける、人とのやりとりを変えていけるやり方って、見つけようと思えば、沢山あるということがわかってきます。
そうなったら、あなたはすっかり『起因に立つ人』です。
気づいたら、どんどん自分の人生のコントロール権が自分の手に戻ってきていることでしょう。
自分次第で色んなことが変わるっていうことが、実感できてきますよ〜
周りの人や出来事に振り回されるような感覚が減ってきますよ〜
被害者意識も無くなってきて、自分がそんな不幸な人間でもないと思えてきますよ♪
不幸かどうかって、受け身になっちゃってるか、起因に捉えられてるか、なんじゃないかと思えてきてます。
今日もお読み下さり、ありがとうございます(^.^)