役に立つことが人の喜び♪そんなことがやっとわかる自分になってきました

役に立つことが人の喜び♪そんなことがやっとわかる自分になってきました

役に立つことが人の喜び♪そんなことがやっとわかる自分になってきました

学ぶ喜び、仕事の喜び

本格的な夏がやってきましたね。

普段は夏が大好きなので、わーーい!と外に出かけることばかり考えたいところですが…

私は、今年は勉強や仕事の年と決めたので、ほとんど建物の中にいます。

勉強というのは、すべて自分への投資だと思っているから、大変な時もあるけど、やっぱり学べる喜びというのは素晴らしいなぁ、と日々感じています。

勉強って、嫌いとか苦手とか難しいとか、わりとネガティブに捉えている声を聞くことがあります。私にそういうところがあるから、聞くのでしょうが…(^_^;)

でも、それって単に、何に役に立つのか、どう使えるのかがわからないまま、机に向かって、一方的に、好きな科目も嫌いな科目も、なんでも平均点目指して勉強しなければならなかった教育があっただけで、

本来、自分が興味あること、やれるようになりたいこと、実際に役に立つことを学ぶのって、喜びでしかないですよね。

そして学んだ知識や情報を使って、問題と思っていたことを改善できた時や、状況を処理することが出来た時には、真の喜びと自信を感じます。

仕事も同じだな、と思います。

なんだか、やらないといけないもの、生きていくために嫌でもしないといけないもの、「べき」のイメージがまとわりがちですが、

本当は、自分のしたことが、誰かの・何かの役にたっている!と感じられる仕事は、人にとって真の喜びでしかないのだと思います。

需要があることをするのが仕事ですから、誰かの役に立つことはお金が発生してなくても、仕事だと思いますし。

まだその実感が感じられない方は、なんでもいいので一つ思い出して見て下さい。幼い頃でも最近のことでも、自分がしたことで誰かが喜んでくれた時のことを。

すっごく嬉しくなかったですか?幸せを感じませんでしたか?もっとやりたいと思いませんでしたか? あの感覚です(^-^)

役に立つことが人の喜び

私自身、最初に弁護士になった時に、プライベートと合わせてですが、もう辛くて投げ出した経験から始まり、仕事というものには、どこかネガティブなイメージが付きまとっていました。

そのため、仕事する能力自体はあっても、そのうち嫌になったり、逃げたくなったりして、仕事というものに直面することができなかった経験が何度かあります。

それ自体は、単に一つの経験であり、「嫌なのにする」ということを徹底的に辞めてみたかった私の実験でもあるんですが、今思えば、仕事するとか人生自体に直面できなかったんだなぁ、私…と認めざるを得ない今日この頃です。

その時々で、本当にやりたいことではないからとか、やる気が起きないからとか、本当に色々言い訳をして、「しょうがない」と思っていました。

でも、そういう時って、実はすごく辛かったです。

弁護士 → バックパッカー → ダイビングインストラクター → 会社員 → 主婦・育児 → 無職 → セラピスト → 弁護士 と一回りして、人間というものについて学びを深める中、改めてそうだと思うのが、

人は役に立ってこそ幸せを感じる

ということです。

私の場合、その周りに、自己犠牲だとか、責任を持つ恐怖だとか、一時的な喜びだとか、色んなややこしいものがひっついてしまっていて、なかなかそこに素直に行き着けませんでした。

何かそれに対して、抵抗や、でも、だって、が付きまとっていたんですね。

まだ実際色々な活動ができている段階ではありませんが、まずその価値観を自分にとっての真実として素直に受け容れることができるところにきました。やっと。

小さな子供の時から、人は何かをして、誰かに「ありがとう(^-^)」と言われたら、最高に嬉しいんですよね。理由なく、素直に単純に嬉しいんですよね。

でも例えば、小さい頃に、人の役にたとうと思って、喜んでもらおうと思って、何か良いと思えることをしたところが、

「何やってるの!」「あぁ〜!もう!」とかいう体験をした場合や、それでも人を助けることが出来なかったと感じてしまった体験をすると、

それ以降人は、人の役に立つことをしようとすること自体、躊躇したり、何か不利益を被ることになるのではないかという漠然とした不安を掻き立てられる、残念な心の仕組みがあります。

その仕組みや機能がわかっていなかった私は、いつしか、傷ついた心が呼び起こす漠然とした不安や恐怖に随分取りこまれて、できる努力も行動にも出れなくなってしまっていました。

人間なので、不安や恐怖からは当然逃げたくなるし、そうすることで安全でいられると思えてたのですが、

その一方でやれることは色々あるのに、全然思うように自分の力を発揮できない自分が本当に嫌になってきていました。

その時は、本当に苦しかったなぁ…

今辛い人は力がある人

よく、「超えられる問題しかこない」というようなことを聞きますが、あれはきっと本当なんだろうな、と思います。

問題と思われるようなことが、目の前に来ると、そんな風には思えなかったり、いやいいよそれは…とか言いたくなりますけどね。

今もそう言いたいことあります…

でも、だからと言って、もう向き合わずに済ませられないことや、そんなことしても自分は幸せでないのがわかったので、なんとかします…

そして、なんとかするって決めた時から、なんとかできるように物事が動くのですよね。

意図ですから(^.^)『思考は現実化する』とはどういうことか?の記事もご参照下さい)

必要な情報がポロンと舞い込んできたり、ヘルプしてくれる人が現れたり、事態が大丈夫な方に急展開して行ったり。

聞いてるだけだと、信じれないだろうし、なんとかする!って思うことすら、なかなか勇気出せないですけどね…

私もそうですよ〜  

でももう、そうも言ってられなくなって、やっと向き合い始めました。 
でもやっぱり、そう決めたら何とかなりますね。

必要なら、誰かにヘルプをお願いしてみるのも良いと思います。

その人も役に立てて、喜びを感じる体験ができるでしょうし、そうして誰かに助けてもらった経験は、自分もいつか誰かを助けたいという循環に繋がりますしね。

そして、今もし辛い体験をしている人は、それだけ本当は実力があるってことです。

それなのに、その実力が出せてないから、辛いんです。
できることをやれている時、人は辛くはなりません。

本当の自分は知っているんですよね、自分はもっとできるって。

自分だけは知っています。自分にだけは嘘は絶対につけません。
持てる力を発揮していない時、人は自分が好きになれなかったり、辛く感じたりします。

だって、その力を発揮するために生まれてきたのですから。

私も自分を役立てます

最近、色んな方と出会う機会があります。その中には、人道支援活動をしている方や麻薬撲滅の啓蒙活動をしていらっしゃる方などもいて、もう言葉にできない感銘を受けたりします。

きれいごとじゃなく、口だけじゃなく、ものすごいスケールで、人類を地球を良くしていこうと日々精力的に活動されているような方達です。

その度に、自分のやってきたことや自分の小ささを目の当たりにするのですが、どうしようもない、私は今ここ、今の私が私です。

でもこれから自分も新たな目的を掲げて、その方向に一歩一歩進んでいくことができます。

いつも、その時から始めることができます。

そして意図した時から、現実が動くのですもんね♪

試しに手にコップを持って、「これをテーブルに置くぞ!」と意図してコップをテーブルに置いて下さい。 簡単に置けますよね? 

次に、「これを動かさないぞ!」と意図してコップをテーブルに置いて下さい。どうなりますか??

その力が、あなたの意図です。

今日もお読みくださり、ありがとうございます(^.^)